「お花見・・・特別号」

お花見は元来、神々が宿るとされる樹木に『神々と人との食事』という古来よりの信仰行事の名残りである。しかし、数ある花の中でなぜ桜なのか……?それは、桜の木が山の神々が降りてくるときの目印になる木として特別に神聖視されていたからである。お花見に付き物のお酒も本来は神様にお供えをしたお下がり(沖縄では、ウサンデー)をみんなでいただくものでした。お花見自体が盛大に行われるようになったのは、平安時代がその始まりとされており、現在の京都、二条城あたりで天皇が桜を見物したのが、そのきっかけになったと言われております。その後、貴族や武士の間でも盛んになり、現代においては、〜梅は咲いたか?桜はまだかいな?〜などと唄にも表現されているような、暖かな春を待ちわびる庶民の娯楽、その代表としてとして定着したのが、江戸時代に入ってからということである。

「芭蕉布・・・11月号」

南国沖縄にも秋の気配が漂いはじめ、日中の日差しも和らぎ、サトウキビの穂も風に揺れ一面ススキ畑のような秋の風景です。クリスマスも近くなると、クリスマススターと呼ばれるポインセチアが真紅を増し、短い冬の訪れを感じます。庭先に植えられたバナナも青空の下で大きな葉を四方に広げ、100本近く実をつけたその重さで、おおきく傾き今にも折れそうな感じです。そのバナナ、10月から11月にかけて収穫時期をむかえます。また、意外と知られてないのもこのフルーツの特徴です。まずバナナの地上に出ている部分は、木でも茎でもなく、葉が巻き付いてできたもの、仮茎と呼ばれる部分です。一度実のついた仮茎はそのまま枯れてしまい、地中の茎の部分から新しい芽がでてきて来年もその次の年も順々に実っていきます。しかし害虫の被害に遭いやすく、すぐに枯れてダメになってしまったりと、とてもデリケートなフルーツです。ところで、布の芭蕉とバナナを同じ物だと思っている方が結構います。もちろん双方、三種類のうちの一種で近い関係にあるのは、間違いないのですが、バナナからは糸はとれません。昔、芭蕉布が広く愛用されていた時代は、どこの家庭にも芭蕉は植えられていたとされるが、現在では本島北部、大宜味村の一部の所でしか作られなくなりました。赤瓦の家と芭蕉畑・・・古の美しい風景は、もう殆ど観る事が出来ません。

「暖かいなー沖縄・・・12月号」

沖縄の冬は、とにかく過ごしやすい!気温も10度以下になることはほとんどない。風の強い日の外は、それなりに寒く感じるが、特に室内は暖かい。よって何よりありがたいことは、暖房器具がほとんどいらない!!よって電気代もその分かからない。冬物の衣類も少なくてすむ!私もセーターを着ることはない。コートもいらない(もってもいない)。マフラー、手袋、らくだも持っていない。ジャンバーやトレーナーがあれば十分!元気な小学生は、半袖で1年中過ごす風の子たちもいる。我が家の息子も1年中半袖で過ごし、風邪知らず。もちろん、ドライブも快適!雪で路面が滑ることもないので、スパイクタイヤもいらない。それどころか、日差しの強い日のドライブは冬でもクーラーをかける。ところで、クリスマスも寒い地域とは、かなりちがう。クリスマスプレゼントを買いに出かけるが、車の中でクリスマスソングを聴きながら、クーラーをかけることもよくある。行った先のデパートでも、クーラーがかかっていたりする。子ども達は、サンタがソリでやってくると、絵本やテレビでしっているが、ソリを見たことがない。しかし素直な子どもたちは、沖縄でもサンタはソリに乗ってやってくると信じている。しかし時には子どもから「なぜ雪もないのにソリでやってくるの?」と質問され、戸惑ってしまう^^;。いやはやなんとも。

「沖縄のお花見・・・さくら祭り1月号」

通常、花見と言えば春の風物詩ですが、沖縄では[ムーチービーサ]と呼ばれる一年で最も寒い時期『一月下旬』が花見のシーズンです。沖縄の桜はカンヒザクラ[寒緋桜]と言われその名の通り寒い時期の桜の意です。1月の中旬から2月の初旬にかけ花を咲かせ、その時期に八重岳[本部町]、なんぐすく[名護市]と桜祭りが行われます。特に名護の祭りは盛大で様々な催し物、コンサートやダンスショー、出店に至るまで地元商工会、青年会議所等協力のもと、街ぐるみで祭り一色となります。その寒緋桜・・・濃いピンク色と下向きに花を咲かすのが特徴でもとは緋寒桜と呼ばれていたのが、彼岸桜[ヒガンザクラ]と紛らわしいと言う事で寒緋桜となりました。本土の桜で有名なソメイヨシノとはだいぶ趣がちがい、桜前線北上中 とはならず、沖縄の場合、桜前線は南下する。となります。

「沖縄の風景 2月号  サトウキビ畑」

さとうきび畑は沖縄全土で、銀色の穂を一面に広げ冷たい北風に揺らいで輝いている・・・そう、さとうきびは夏の太陽を一心に受けて成長し、冬の寒さをむかえる頃甘味が増してくるとの事、1月から3月にかけてのウージトーシ[きび刈り]の風景は沖縄の冬そのものです。さとうきびの原産はニューギニアといわれ食用の砂糖にいたるまでには実に400年以上の歴史があり、中国からその製法を学んだとされ、今でもその基本作業にかわりはありません。沖縄ではお盆の時に、グーサンウージ[祖霊が帰ってくるときの杖]として用意されるほど大切な場面でも特別な存在である。しかしやはり砂糖と言えば、クルザーター[黒糖]です。今では琉球村ぐらいでしか見かけなくなりましたが、丁寧に一本一本さとうきびを絞り、じっくり時間をかけて煮つめていくうち甘い香りの中、凝縮された黒糖が出来上がります。その味は口に含むと、なんとも素朴な甘さが舌に溶け、自然から生まれた不思議な甘味の虜になることでしょう。それからもうひとつ、ざわわ ざわわで始まる大ヒット曲 さとうきび畑の唄…戦争が舞台となった悲しい曲だということが、意外と知られていない。

「沖縄の風景 3月号 日本一早い海開き」

通常、5月の声を聞くと待ち遠しくなるのが海水浴でしょう。抜けるような青空の下で白い砂浜を走り思い切り海の中へ飛び込みたくなる…まさにそれは夏の風景です。しかし日本には梅雨があって、シトシト降る雨が一気に上がらないと本格的な夏のシーズン到来とはなりません。太陽がジリジリ照りつける夏はもう少し先の事、しかしそれを日本一先取りしてしまう場所、それが石垣島です。この島は日本で最初に夏が来る。毎年石垣島は3月の下旬に全国に先駆けて海開きが行われ、5月の連休ともなると全国から観光客が殺到します。そんな石垣島は沖縄本島より南へさらに411キロ離れた太平洋上にあり、亜熱帯の台湾からも277キロしかはなれておらず殆ど常夏に近い島です。島の年間平均気温は25,4度、一番寒い1月でも11,2度が過去30年で記録した最低気温であり、とくに石垣島の砂浜の美しさは有名で底地ビーチは白い砂浜が1キロメートルにわたって続き、海も珊瑚礁の影響で遠浅になっております。地上の楽園と呼ぶにふさわしい石垣島はまさに、和製…天国に一番近い島…といったところでしょう。

「沖縄の風景 4月号 シーミー」

海沿いの野山一面に、テッポウユリが咲き始める4月初旬は、沖縄の年間行事のなかでも最も重要な、清明祭(シーミー)を迎えます。簡単に言ってしまえばお墓参りの事ですが、沖縄では一大イベントとなってます。沖縄のお墓はとにかく大きく、またその墓前にはなぞのスペース、このスペースがシーミーの舞台となるわけです。沖縄のお墓はどんな規模の小さなものでもそのスペースは確保されていて、旧暦の3月(清明の節)に行われる先祖供養のお祭りのことです。時期はその年によって変わるが、家族や親族がお墓に集まって重箱に詰めた料理やお酒、菓子や果物を供えて焼香した後、広い墓庭でご先祖様と一緒ににぎやかに会食をするのです。時には新聞広告に(シーミー日程通知)が出る事もあるほどです。シーミーはもともと中国から伝えられた習わしだが、中国では墓参りはしても、その場でお供え物を食べて宴会をする事はないらしい。ご馳走を食べながら親睦を深める沖縄のシーミーは、ウチナーンチュらしい明るい風習である。持参する重箱は、料理の詰め方や餅の数など、地域や一族ごとの習わしがあり(お墓参り)とはいえ祝行事なので、かまぼこは食紅で染め上げられ、彩りも華やかである。ちなみにシーミーの翌日は、あまったご馳走で作る(シーミー弁当)……なぜか子供に不評である。

「沖縄の風景 5月号 鯉のぼり」

新暦で5月ともなれば、沖縄では夏のシーズン到来です。全国的にゴールデンウイークを迎える頃は、各行楽地は人で溢れ、このときばかりは大人は子供たちに振り回される事でしょう?沖縄も例外ではなく、車の混雑でうんざりします。周りを海に囲まれている沖縄は、行楽のそのほとんどが海や川で、キャンプやビーチバーベキュー、川遊びなどなど…そのなかでも一番の人気はやはり潮干狩りでしょう。ちょっと気の利いた保育所などでは、大潮の時期に合わせ、(親子ふれあい潮干狩り大会)を企画するほど子供たちには大人気です。子供たちにとって海岸の潮だまりの生き物に親しむ機会は、この海に囲まれた沖縄でも意外に少なく、大小さまざまのカニ、エビ、ハゼ、ヤドカリ、貝に至まで、好奇心いっぱいの子供たちの目は時間を忘れ、いきいき輝いています。私自身も大人になって強く感じることですが、こんなに身近にたくさんの命を育む豊かな海があり、見て、触って、感じることができる子供たちは、なんと恵まれていることでしょう!!!私たち祖先が、受け継ぎ守ってきたものを、これからの世代のも残していかなければなりません。しかし最近では、そんなきれいな海や浜辺にたくさんのゴミが捨てられているのを目にします。地域の方や、ボランティアの方々が精力的に清掃活動をされてますが、それでも一向に改善されません。海や山、空や大地は、生き物すべてのものであるはずです。身近な自然に感謝する気持ちを我々大人は、もっと大切にしたいものです。

「沖縄の風景 6月号 慰霊の日」

住民約9万4千名が犠牲となり、(私の祖父もその一人…)鉄の暴風とまで言われた沖縄戦が、終結したとされる日。沖縄では、5月上旬に梅雨入りし、6月ともなれば各地でアジサイの花が咲き始め、平和に暮らせる今日に改めて感謝し、戦争のない世の中を願う‥‥1945年6月23日、日本軍、沖縄守備軍(第32軍)司令官の牛島  満中将が自決し、日本軍の組織的抵抗が終わったとされた日である。実際には、8月15日の日本降伏後でさえ、洞窟や山中にこもっていた日本軍や住民も多かったため、軍司令官の自決の日をもって沖縄戦終結の日とするのは適当とはいえない、という意見も根強くあるが(近頃沖縄市では降伏文書の調印が行われた9月7日を平和の日として市条例に定めた)沖縄県は6月23日を(慰霊の日)と定めて公休日としている。この日、沖縄戦最後の場となった本島南部への道路は、遺族を乗せたマイカーの列が続き、摩文仁の平和記念公園で、県主催による(沖縄全戦没者追悼式典)があるほか、(ずいせんの塔)(紺碧の塔)など各地の慰霊碑の前で慰霊祭が行われる。またその前に、ほとんどの小中高で平和を考える特設授業が行われている。我々大人は、今日の平和の尊さを次世代にずっと伝えていきたいものである。

「沖縄の風景7月号 夏を知らせる花 ユウナ‥‥」

6月の下旬に梅雨が明け、夏の到来を告げる花 それがユウナです。近年海外から導入された鮮やかな熱帯花木がにぎわう中、派手さはないが古くから沖縄の人々に親しまれ海辺の風景に風情をそえています。その名の由来は、方言名がユウナでこの木がよく生える(沖積地)を沖縄ではユナと呼ぶため花の名前になったとされています。花の色は、黄色を主としたクリーム色でうつむきかげんに咲かせる控えめな様子が、ユウナというやさしい響きによく合った感じです。歌にもなる(私が小学生の頃習った‥‥)この木は主に海岸近くに群生し、防風、防砂、防潮など人々の暮らしに役立てられ、染め物としても久米島紬のユウナ染めに利用されているほどです。沖縄の花のイメージとしては、ハイビスカスやブーゲンビレアなど年中見かける花を想像しがちだが、実は南国沖縄にもちゃんと季節の移り変わりを告げる花が存在する。私たちが子供の頃に見た青い海と青い空、その前にいつも咲いてるユウナ‥‥今年もまた目もくらむほどにまぶしい、沖縄の夏がやってきました。

「沖縄の風景8月号 生き続けるエイサー」

沖縄の伝統芸能の中でも最も身近に親しまれているのがエイサーである。沖縄の夏の風物詩でもあるエイサー、もとは、お盆に帰ってきたご先祖を送る(ウークイ)ときに踊る盆踊りのひとつである。しかし近年はお盆行事を離れたひとつの芸能としても人々の暮らしに欠かかす事のできないものになっている。8月のこの時期は各地で大なり小なり、エイサー大会が催される。なかでも最大級の全島エイサー祭りは、地域で活動している方からプロと呼ばれる方までそのスケールの大きさに圧倒されてしまうほど‥‥とはいえそれでもやはりお盆のときに踊るエイサーは、県内各地でその地域に住む青年会が数ヶ月前から練習をして、いざ本番には地元部落内の通りを練り歩く。また子供たちが通う保育園でも、敬老会、運動会、おゆうぎ会、そして夏祭りと行事のたびに、エイサーは必ず登場し子供たちの中でも花形的存在である。沖縄でお盆の祖霊送りのために生まれたエイサー‥‥今も人々の生活の中でいきいきと受けつがれ、現代に残る数ある伝統芸能の中でも貴重な存在であり、またこれからもずっと生き続けるだろう。

「沖縄の風景9月号 村アシビ‥‥」

旧暦の8月10日前後に、沖縄各地で行われる豊年踊り。豊年を神様に感謝し、次の年もよいことが続くようにと、祈りが捧げられる。現在は各地区の公民館やそれに隣接する広場が舞台となっているが、以前は、村のアシビナー、殿、神アサギの庭などで、さまざまな踊りが披露される。八月アシビ、村芝居ともいう。お盆が終わった頃から、村の主立ったものが集まり、祭りへの計画がなされる。村人たちは、二才踊り、女踊、狂言、組踊などの組に分かれ、それぞれの演技を稽古する。祭りはおよそ3日間行われ、初日はリハーサル、2日目はノロをはじめとする神々たちが村の聖地にお参りし、旗頭を先頭としたミチジュネー(行列)が行われる。通常、幕開けには長者の大主が演じられ、これより天下泰平や五穀の実りを感謝する口上がなされる。若衆踊や二才踊、女踊、狂言と続き最後に組踊が演じられ、まさに奉納芸能のオンパレードとなる。私の住んでいるところもそうだが、最近では、沖縄芝居を演じるところが圧倒的になってきているが、3日目の最終日には、村人を招待する仕来りで和やかなムードの中大盛況で毎年幕となる。以前は、村から選ばれた演技者たちが、先輩から厳しく稽古を付けてもらい、晴れの舞台に挑んだものである。隣の村と芸を争うこともしばしばで、プロのシバイシー(役者)をうならせた人もいたとか‥‥昔から今も変わらず受け継がれてきた、村アシビ‥‥村の人々の団結と五穀豊穣を願う強い心で、いまなお素晴らしい伝統芸能がここ沖縄に残っている。

「沖縄の風景 10月号 カジマヤー」

カジマヤーとは、沖縄全土で旧暦の9月7日に、97歳の長寿を祝う(トゥシビー)のひとつ。長寿県沖縄でもこの歳まで元気でいると童心に帰るというので、カジマヤー(風車)を飾って祝う。それでカジマヤーという。沖縄県内各地の部落単位でその祝いは執り行われ、主役のおじいちゃん、おばあちゃんは、金銀のモールなどで飾ったオープンカーに乗せられ、パレードが行われる。このパレードというのが、カジマヤーの1つの特徴で、むかしから村の中を行列をなして、ねり歩いていた。ところが、この行列は単なるお祭り騒ぎではなく、野辺送りをも意味していた。(もう長らく生きたのでここらで人生に終止符を打つという)また、それとは別に、一旦人生を終わり、再びよみがえるという意味もあったという……明治の頃の沖縄では、カジマヤーは模擬葬儀の儀式とされていて、死に装束を着せ、集落七つのカジマヤー(四辻)を回ったとされる。ほんとうの意味では(風車)ではなく、風のまわるところ、つまり場所を指すものであった。しかし、現在では長寿のお祝いの象徴となり、97歳、たいへんな長寿ではあるが、昨今では百歳を越える元気なお年寄りも増えてきて、そうなれば、もう毎日がお祝いといったところであろう。

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