沖縄の路線バス
沖縄のバスは手をあげないと止まらない。沖縄では誰もが知ってて珍しいことでもない。しかし最近では那覇市内など大きな町では手をあげなくてもバス停で止まるようになった。まだ徹底しているわけでもないが、なかには手をあげても止まらず爆走していくバスもあるのでびっくりである。沖縄の人々は強い日差しをさけるため、バスに乗る時はバス停から少し離れた建物や木の陰にかくれて待っていることが多い。しかし沖縄のバスが定刻通りに来ることは稀である。待ちくたびれた頃にバスが来て、あわててバス停に走りよって手をあげるがバスは無惨にも走り去った後‥‥ということも珍しくない。何だかバスの運転手が冷酷な性格みたいだがそういうわけではなく、手をあげないと止まってくれない一方で、田舎などに行くとバス停でなくても手をあげれば止まってくれることもあるし、降りるときなどたとえバス停を乗り過ごしても安全を確認できれば止まってくれる。また運転手も明るく話し好きの人が多い。これは人により好きずきだが、年寄りなどやたら話しかけてくる。適度につきあっているとしまいには、(みかん食べるね〜)(お菓子食べるね〜)などなど、おばーのかめ〜、かめ〜攻撃に遭遇したりもする。まあ、それも良しとして沖縄の景色をのんびり眺めながらおばーの話を聞くのもいいのかもしれない。最後に一つ気をつけなければならないことは、沖縄のバスのほとんどが、次の停留所を告げるアナウンスが1〜2個ずれていたりする。地名や場所に慣れない方はあらかじめ運転手に自分が降りる停留所を告げておく方がいいだろう。
先妻と後妻が同居する?沖縄のお墓事情
人生をともにした夫婦が一緒の墓に入ることはある意味幸せなことだろう。しかし沖縄流儀式では、安らかに眠るはずのお墓の中で、時として本人の意にそぐわない人たちと(同居)しなければならない場合がある。たとえば、バツイチで再婚していた女性が亡くなった時、普通なら再婚相手の男性と一緒に葬られるところだが、沖縄では別れた先夫の墓に入らなければならないケースがある。先夫との間に男子を産んだ女性は長男がいるということで、その死後は先夫の墓にはいるということだ。仮に別れた夫が再婚して後妻をもらったとしてもである。つまり、男女のしがらみはお構いなしに、夫を真ん中にして先妻と後妻が顔を合わす奇妙なお墓となってしまうのだ。それは、ひとつの墓を始祖が同じ父系で守る、門中という仕組みになっているがためにそのようなことが起こるのだ。熟年離婚してやっと清々したと思ってもあの世でまた同居するなんて‥‥また、私たちのお墓になぜ先妻まで入ってくるの‥‥?これまた然り‥‥苦々しく思っている女性は少なくない。全国一の離婚率沖縄ということを合わせて考えればなんとも悲劇的なことか‥‥但し沖縄の門中制度も一部の地域を除き、かなり薄れてきていることはまちがいない。
ちゃんぷるー8月号
落としたら大変?マブイとは!
誰でも一度ぐらいは、落とし物で困った経験があるだろう!沖縄では困ったどころか、大変なことになってしまうものがマブイである。マブイとは沖縄で魂のことをいい、その魂は命の根源と考えられているため落とすと大変!という訳だ。事故や何かのショックで精気が失われたり大きな病気になってしまったりすること、その状態をマブイが身体から抜け出してしまったものとして(マブイを落とす)とか(マブイが抜けた)と表現する。そして落としてしまったマブイを取り戻すための儀式を行う。このマブイグミ(魂込め)の儀式は、事故現場などマブイを落としたと思われるところへ本人を連れて行って拝み、マブイを本人の身体に取り戻すというものだ。病人が床から離れられない場合は代わりに本人の着物をもっていって、着物にマブイを付着させ帰ってから病人に着せる。またどこにマブイを落としたか見当がつかない場合はフール(便所)の神様などにマブイを探してくれるようお願いするのである。二十年ほど前の沖縄では原因不明の身体衰弱などあるとよく行われたマブイグミだが、最近ではあまり見かけなくなっている。マブイは簡単には拾えないので、うっかり落とさぬよう気をつけよう。
沖縄料理に豚肉が多く使われる歴史的理由とは?
沖縄料理といえばさまざまな豚肉料理が有名である。沖縄が長寿社会である理由は豚をよく食べるからだ、という説もあるくらい日常的によく食べる。なぜ沖縄には豚料理が多いのか。そこには歴史的背景がある。15~19世紀まで続いた琉球大朝時代、政府は中国に朝貢していた。琉球国王がかわると、それを承認するため中国皇帝の使者の一行が琉球を訪れた。使者は少ない時でも二百人、多い時は五百人にのぼったといわれ、しかも半年から一年にわたり滞在していたとされる。宮廷料理を作る役目を担っていたホーチューニン(包丁人)たちの苦労は大変なものだった。彼らは中国料理を学ぶために留学までさせられたのだ。中国には豚を使った料理が多かった。その結果、琉球にも数多くの豚料理が持ち込まれた。さらに琉球料理全体が中華料理の影響を受けることになったのだ。西暦200年〜260年頃のいわゆる三国志と呼ばれる時代にも宴席料理のそのほとんどは豚料理である。また首里城の周りでは養豚場が増えまさに中国との交流の中から、豚を食べる食生活が生まれたのである。我々が今、口にしている沖縄の豚料理は、何百年も前に中国で料理を学んだホーチューニンたちが生み出した料理かもしれないと思うと、味もまたひとしおである。
沖縄だけの時間の流れ‥‥ウチナ〜タイム
アメリカなどを中心に世界的に実施されているサマータイム。これは日照時間の長い夏の間だけ、時計の針を一時間進めようという制度である。冷房などの省エネ対策にも役立つうえ、退社時間が早まって余暇を楽しめるというメリットもある。ところで、沖縄にはサマータイムならぬウチナ〜タイムという沖縄時間が存在するのである。なるほど南国沖縄ではサマータイムのように気候に合わせて時間を早めて設定しているのか?なんて納得する人は大きな間違い。ウチナ〜タイムはサマータイムとは逆に時計の針がかなり遅れているのである。たとえば、バスの運行にしても10分、20分と遅れてくるのは当たり前だし、沖縄の人がこれに対しイライラすることはない。これこそがウチナ〜タイムだからである。つまりウチナ〜タイムとはのんびりした沖縄ならではの時間帯のことなのだ。飲み会の待ち合わせだって約束の時間どおりに来る人なんてまずいない。たいてい30分過ぎぐらいから集まり始め、一時間すぎた頃にようやく全員集合となる。ウチナ〜タイムのことを時間にルーズなだけ!と言ってしまえばそれだけなのだが、この時間の中ではイライラして待つことも、先に来た人が遅れてきた人を責めるということもない。良く言ってしまえば、おおらかな県民性が創り出した、なんとも平和的でのんびりした時間が流れているのである。
沖縄の七夕について
ふつう七夕とは、7月7日に天の川を挟んで織り姫様と彦星様が年に一度逢える日‥‥年に一度の願い事‥‥そんなロマンチックなイメージとなるものだが、沖縄の場合はかなり違ってくる。沖縄の七夕とは、お盆を迎える前にお墓の掃除に行ったり虫干しをする日だからである。お墓では、掃除の後、線香をたき、お酒などを備えてお盆入りの案内をする。沖縄では、お墓の修理や引っ越し、洗骨などは、日取りが難しく下手をするとフスク(不足)がでて大変なことになる。ところが七夕は、ヒーナーシといってあれこれ気にせず後生に関することが出来る便利な日でもある。ただ年に一日だけなので、お墓の大修理や新築移転などはユンヂチ(閏月の入る年)を利用する。ユンヂチもヒーナーシなのである。今では、法律の規制があって洗骨をするところもなくなってきたが、七夕にするということは不幸が長くなかったことを表すので、ユエーウスクイ、ユエーギレーなどといつて喜んだものである。七夕の時期というのは一年で最も日差しの強い時期だとされ、七日ティダと呼んだ。そこで着物や穀物などの虫干しをした。〜沖縄の七夕には、笹野はさらさらも天の川も関係ないのである。〜
ちゃんぷるー9月号
光り輝く奇跡のビーチ
沖縄には、夜になると打ち寄せる波が青白く光り輝き、満天の星空がそのまま海に降りてきて、またたいているように見える海岸がある。それが久米島の海岸。光となった波が寄せては返す、この世のものとは思えないような光景を見ていると、思わず(奇跡でも起きたのか)と絶句してしまいそうになるが、実はこの光は夜光虫によるものなのだ。夜光虫は海中に潜む体長が1ミリにも満たない原生生物の事で、不思議なことにこの生物、自分の体が刺激されると青白く発光するのである。なんのために光るのか詳しい事はわかっていないらしいが、久米島の海岸に打ち寄せる波にはこの夜光虫が無数に生息しているのである。試しに砂浜の貝や石を拾って投げ入れると、水の振動に刺激を受けた夜光虫が光り、波紋やしぶきが光りとなって輝く幻想的な光景が見られる。夜光虫が見られるのは梅雨が明けた6月から9月までの時期で、このシーズンは毎晩のように久米島の海岸が青白く光る、皆様も是非、一見あれ!!!
沖縄ぜんざい!!
あまく煮くずれた小豆が、アツアツの状態でドロリとお椀に入っている‥‥。本土の方が(ぜんざい)と聞いてまず思い浮かべるのは、こんなイメージではないだろうか?北風が吹きすさぶ寒い冬にこそ食べたい和のスイーツ、ところが沖縄では夏の定番メニューなのである。沖縄版ぜんざいは、本土のそれとはまったく別モノなのだ。かき氷に豆と白玉をあしらった、目にも涼しげな一品なのである。本土のぜんざいのようにはじめから砂糖で小豆をやわらかく煮込むのではなく、小豆より大粒の金時豆をゆでた後に砂糖を加えるので、粒が煮崩れず残っていて甘みもサッパリしている。氷あずきの金時版ともいえるが、やはり、ぜんざいであるので主役は氷ではなく金時豆。氷はいかに豆を冷たく味わえるかのオプションにすぎず、コンクリートも溶かしてしまいそうな真夏の日差しから逃れ、冷たいかき氷とコクのある金時豆、もっちりした白玉を交互に頬張るのは、まさに至福のひとときである。沖縄全土、夏のビーチでは、観光客や地元の人も移動パーラーの前に列をつくり、沖縄ぜんざいのとりことなる。 移動パーラーとは? このサイトの不動産物件情報より、中古物件情報の写真を見て頂きたい!!
世界に広がる武術、空手とは?
日本から波及し、いまや世界各地で親しまれている空手、日本が世界に誇るこの武術の発祥地は沖縄である。時は琉球王朝時代、中国との交易が盛んだった沖縄に中国からさまざまな文化とともに持ち込まれたもののひとつが中国拳法だった。これが沖縄に古くから伝わる伝統的な武術、ティー(手)と融合し、唐手(トゥーディー)と呼ばれる空手の原型となっていく。しかし唐手はその後長い年月、一子相伝の武術として士族の間でたしなまれるに留まり、庶民に広まっていったのは明治時代に入ってからのことだった。以降は学校の授業に取り入れられるなど一般に普及し、大正時代になると本土にも波及していった。やがて唐手から空手と名を改め、世界に波及していくことになったのである。空手の空の字は徒手空拳で身を守って敵を防ぐという意味を表しており空手の根本をなしている。そして、その空手を世界に広めていった真の功労者は戦後、沖縄を統治していたアメリカ軍人に他ならない。彼らもまた、空手の世界に魅せられ本国へ帰ったあと空手のすばらしさをひろめていったのだ。空手の極意は技法より鍛錬を重んじるとされるその精神は、平和を愛する沖縄だからこそ生まれた武術なのである。
沖縄そば、宮古そば、八重山そば!
沖縄の人々が愛してやまない沖縄そば。そばといってもそば粉は使わず、小麦粉を灰汁でつなぐのが特徴!!しかし現在では灰汁の入手が困難になり、ラーメンの麺と同じカンスイを使用しているところが多くなってきている。ひと口に沖縄そばといっても地域により少しずつ個性があり、今回はそれを紹介しよう。まずは沖縄本島の沖縄そば。中南部では3〜4ミリ幅の麺で、名護より北部では平麺が多い。スープは豚骨とかつお節からとることが多いが、店によっては鶏骨や昆布を使うところもある。基本の具は豚の三枚肉、ネギ、カマブクで好みで紅ショウガをのせたりする。一方、八重山そばは細めの丸麺とコクのあるスープが特徴だ。豚肉は短冊形に切ったロース肉を使う。紅ショウガはのせず、ピパーチと呼ばれる島コショウをかけるのが一般的だ。また宮古そばだが、やや細めのストレート麺が多い。沖縄そばはゆでた後、麺がくっつかないように油をまぶし、スープをかける前に湯通しするのだが、宮古そばは、他の沖縄そばに比べて、よりしっかり湯通ししてその油を洗い流すので、スープがあっさりと上品に仕上がっている。具の豚肉は八重山そばと同様豚ロースだが、こちらは短冊形に切らずにのせる方が多い。昔の宮古そばは、具が麺のなかに隠れていたが、いつのまにか具を上にのせるようになった。宮古島には行った事がないのだが、友人の話では、そばの具はちゃんと上にのっているとのことである。
さて、北海道の、そばっ娘いのち様、沖縄ではぜひ!!食べくらべてみてください。この記事が参考になりましたら幸いです!!
ちゃんぷるー10月号
沖縄の豆腐はほっかほか!!
豆腐といえば日本を代表する食べ物だが、沖縄の豆腐(島豆腐)少し変わっている。まず大きい!!普通スーパーなどで売っている豆腐はだいたい一丁280グラムぐらいで、手のひらにのるぐらいのサイズだが、沖縄で売っている豆腐は同じ一丁でも900グラムはある。通常より3倍以上大きく、本土の豆腐より水分が少ないから、大豆の香りが匂い立ち味が濃厚で、タンパク質も多く含まれている。また少量の塩分を加えているものの、豆腐の凝固剤には一般的に海水からつくった天然ニガリを使っているため程よく塩味が利いている。これを冷水につけず熱いままビニール袋に入れて販売している。また沖縄にはチーズのような食感の豆腐がある。これについては、沖縄でも好き嫌いがはっきり別れるもので、豆腐餻(とうふよう)と呼ばれている。これは泡盛と米麹などを使って豆腐を発酵させ、4ヶ月から1年間熟成させた豆腐でねっとりとした舌ざわりで芳醇な味わいが楽しめる。さらに豆腐の材料に大豆ではなくピーナッツを使った(ジーマミ豆腐)もある。これは地元の子どもたちや観光客の方にも大人気で、醤油を甘辛くしたものをタレとしてかけて食べるが、プルンとした食感とピーナッツの香りがたまらなく美味しい。さらに、沖縄定番料理の(ゆし豆腐)はニガリを入れて固まる前のもので、これをダシと一緒に煮込んで刻みネギをのせて食べる。郷土料理で沖縄三昧できるのも沖縄ならではの楽しみといえる。
なんと! 住人一家族の島とは?
数多くの島々が点在する沖縄でも、さらに離島中の離島といえるのが、宮古諸島にある水納島(ミンナジマ)である。那覇空港から宮古島へ飛び、小型機に乗り換えて多良間島へ。そこからさらに船に乗ってようやくたどり着く、小さく美しい島である。昨今、マスコミにも紹介され知ってる方もいると思うが、サンゴ礁とエメラルド色に囲まれたこの島に住んでいるのは、宮国さん、一家ただひと家族だけなのだ。まさにプライベートアイランドの状態である。とはいっても宮国さん一家がこの島を買い取っているわけではない。昭和初期には二千人以上が生活し、多良間小学校の分校もあった。だが昭和36年、台風などの被害が度重なり琉球政府は島の住人に対し宮古島への移住を勧告した。その結果人口が減少し昭和53年には学校も廃校になる。多良間島と水納島には定期船が出ていないためここに訪れたい場合は唯一の住人である宮国さんにチャーター船をお願いすることになる。完全自給自足の島なので食料等々、持参しなければならない。しかし美しいビーチにねころんで、サンゴ礁を眺めながらひたすらのんびり過ごしたい人にはたまらない島だろう。ちなみに沖縄本島北部、本部半島の沖合にも(水納島)があり、こちらの人口は50人ほど。どちらの島にもそれぞれの魅力はあるが、同じ名前なのでご注意を!!。
黒島牛まつりについて
商店街の福引きで1等の商品によく登場するのが海外旅行。ところが沖縄には当選者に牛をまるごと1頭プレゼントするイベントがある。石垣島の沖合にある黒島で開催される(黒島牛まつり)がそれだ。黒島牛まつりは毎年2月に開かれているもので、イベントの当日となると島外から島の人口をはるかに上回る2000人近い観光客が訪れる。会場ではさまざまなアトラクションが繰り広げられ、大人5人が牛1頭と綱引きを行うゲームも恒例となっている。そしてイベントのハイライトが牛1頭をプレゼントする抽選会だ。この抽選会はチケットを買えば誰でも参加することが出来るため、毎年大勢の人たちが(夢)を求めて会場に長い列をつくる。幸運にも牛を一頭当てた人は主催者に換金してもらったり、あるいは船に乗せて牛を連れ帰っている。ところで牛まつりのイベント会場では牛汁やステーキを食べることもできる。文字どおり牛づくしの1日を楽しめるが、なぜ黒島で牛まつりをやるのかというと、この島の主な産業が畜産なのである。島の人口200人に対して牛の数は2000頭余りも放牧されているというから、まさに島全体が牧場なのである。牛まつりは1993年に地域の活性化事業として行政主導で始まったものだが、その後島の若手が中心となってアイデアを出し合って現在のようなイベントにまで育て上げた。今では沖縄にはなくてはならないイベントとして親しまれ、地元の人たちは毎年2月のこの行事を楽しみにしている。
ちゃんぷるー増刊号
沖縄の島々の不思議
沖縄の島々を船上からよく観察してみると不思議なことに気づく。水平線から見える島の形がはっきり二つに分けられるからである。それは山のように高く盛り上がっている島と、逆に皿を伏せたように低く平べったい島のどちらかだ。専門的にいうと(高島)と(低島)と呼ぶそうだが、このふたつの違いが琉球列島の生い立ちに深い関係があるという。高島は丘陵と低地でできており太古の時代に大陸の一部だったものだが、長い時間をかけて大陸から切り離され島となっているのだ。代表的な島には久米島や石垣島などがあり、琉球列島は約百万年前に大陸から分離しているから、両島の丘陵や低地は大陸とつながっていた頃のなごりである。またもう一方の低島はどうなのかというと、巨大なサンゴ礁群がしだいに島に発展してできたものとみられている。宮古島諸島や竹富島などがそれにあたるが、サンゴ礁がもとになっているだけに土を掘り返していくと石灰岩の岩礁にぶつかってしまう。ひとくちに沖縄といっても島の生い立ちはそれぞれ違うのである。
沖縄のウミガメを守れ!!
毎年4月から9月にかけて沖縄の砂浜は、メス ウミガメたちの産卵のシーズンである。沖縄を産卵の場所に選んでいるウミガメには、アオウミガメやアカウミガメ、それにタイマイの3種がいるが、いずれも絶滅寸前の野生生物を保護するワシントン条約の対象となっているカメたちだ。なかでも糸満市の大度海岸はウミガメの産卵場所としてよく知られており、シーズンともなるとウミガメたちが続々と砂浜に上がってくる。砂浜に穴を掘り、ピンポン球のような卵を一回の産卵で100個前後産むといわれている。しかしウミガメたちの不思議な本能を見せるのはそのあとだ。カメは産卵が終わると卵の上に砂をかぶせてそのまま海に帰ってしまうのだが、2ヶ月後に生まれてくるウミガメの赤ちゃんたちは、砂の中にいながらなぜか必ず満潮の時間に孵化してくるのである。これは満潮の時間に卵の殻を破れば、砂浜から海までの距離が最短となり、早く海に入ればそれだけ砂浜の外敵に襲われにくくなるためだという。ところでウミガメたちは今やっかいな問題を抱えている。それは近年マリンレジャーが普及したことで人間が大挙して砂浜にやってくるようになり、安心して産卵できる砂浜がどんどん少なくなっていることだ。ウミガメたちに静かな砂浜をなんとか取り戻してあげたいものである。
健康沖縄に密かな人気 アセロラとは!
ドラッグストア等に数々並ぶアセロラドリンク。アセロラは100グラムあたり1700ミリグラム、レモンの10倍のビタミンCを含む。今でこそ(ビタミンCの王様)として有名だが、アセロラの栽培は、実は沖縄の農業を守るための挑戦だったのだ。沖縄の農産物といえばパイナップルやパパイアなど有名なものが多い。しかし、せっかくつくっても本土に空輸するにはコストがかかってしまい、本土ではパイナップルもパパイアも海外から輸入した方が安いので、どうしても外国産が増えてしまう。(このままでは沖縄の農業がダメになってしまう)と危惧した農業関係者が、沖縄からしか入手できない農産物として目をつけたのがアセロラだった。アセロラに着目したのはいくつかの理由があって、台風の多い沖縄ではせっかく育てても一度の台風ですべてダメになってしまうことがある。その点、アセロラは年に3〜4回収穫することができるので、台風被害があったとしてもまた花を咲かせ実を結ぶ。収穫のチャンスがあるというわけだ。またアセロラは収穫してから3日しか日持ちがしないので、海外から輸入しづらい。沖縄から空輸すれば翌日には本土へ到着する。つまり沖縄からしか入手できない、というわけである。沖縄産アセロラは、1982年頃から沖縄本島北部の本部町で栽培されるようになった。今や女性の間では、美白のために毎日アセロラドリンクを飲むという人も少なくない。
キャビアのような海ぶどう
プチプチした不思議な歯ごたえ、鮮やかな半透明な緑色、通称(海ぶどう)と呼ばれるこの食べ物、実は海藻である。和名はクビレヅタ。限られた場所でしか生息せず、主な自生地としては宮古島や西表島、伊良部島などの海域が知られている。天然物は採れる季節が限られており、養殖も天候に左右されるなど収穫量が定まらないので、沖縄以外ではなかなかお目にかかれない貴重な食材である。海藻なので特に味もなく、醤油ベースのドレッシングなどをかけて食べるのが一般的だ。ほかには寿司のネタとして使われたり、ウニやイクラなどと合わせて丼の具として食べることもある。見た目や食感などから世界三大珍味のひとつであるキャビアになぞらえて(グリーンキャビア)とも呼ばれているこの海ぶどう!カルシウムやビタミンなどを豊富に含み、健康食品としてもオススメである。沖縄に訪れた際にはぜひ一度ご賞味あれ。